マイクロソフト共同創設者のポール・アレン氏が第2次世界大戦で使われた戦闘機を集めて作った小さな博物館 Flying Heritage Collection のイベントに行ってきました。でもいろいろ考えさせられてしまって、なんだかうまくまとめられません~。
歴史は好きでも戦闘機には特に興味がなく、友人が貸してくれた百田尚樹の 『永遠の0』 がきっかけで、零戦についてネットで日本語と英語で検索していろいろ読み始めました。そしてどこかのサイトでこの博物館が1990年代前半にニューギニアで発見された三菱 A6M3零式艦上戦闘機22型を所有していて、それを6月8日に飛ばすと書いてあるのを発見。いろいろ調べてみると、この零戦は戦時中にニューギニアのバボ飛行場で米軍の攻撃を受けて破壊され飛行できない状態になっていたもので、1994年頃にロシアに運ばれて修復され、再び飛行可能になったんですね。そのため、エンジンはオリジナルではなく、Pratt & Whitney R-1830 が搭載されているそうです。その後、ポール・アレン氏が購入して Flying Heritage Collection に展示し、昨年、初の公開飛行を行いました。
よく考えてみたら、その時にうちの夫が偶然、息子を連れてその飛行を見に行ったんですよね。夫が「ゼロが飛んでた」とか教えてくれた気がするんですが、また右から左に流してしまってました。あー、ごめん。
『永遠の0』 には、いろいろ考えさせられて、おかげで零戦を生で見てみる気持ちになりました。小説としては、後半はすべてがあまりにもピッタリはまりすぎ、「あー、この人がきっとあの人なんだな」と結末の予想がついてしまう内容だったのが残念でしたけど。
イベント当日、零戦と P-40 が並んで展示されていて、紹介を受けたパイロットがそれぞれに乗り込みました。そこまでは「おお、これが零戦か」という興味だけでしたけど、プロペラが回り始めた時、その音を聞いて、ぞぞぞーっとしました。古い音が過去から呼び覚まされてきたような感じがし、相手を殺すために作られた戦闘機のお役目というものが、その様子からあらわになったというんでしょうか。そして、この零戦に最後に乗ったパイロットはどうなってしまったんだろう、この飛行機が攻撃を受けた時にこの飛行機に乗っていたんだろうか、もう亡くなっているとしたら・・・と考え始め、それから零戦が飛び立っていく様子、そして観客の前を P-40 とともに飛び回るのを見ながら、最後に乗っていたパイロットのご冥福を祈らずにいられませんでした(私は宗教は信じてないのですが)。
特に上空から一気に降りてくるところなど、怖かったです。ああ、やはり戦闘機は殺すために作られたものなんだなと。こんなのがたくさん飛んできたら、ほんと怖い。このコレクションが B-29 を展示してないだけ良かったと思いました(が、館内には原爆投下についての垂れ幕があります)。
でも、この戦闘機の飛行をいろんな人種・国籍・年齢・経歴の人たちがこうして一緒に見て、歓声をあげ、「ゼロはやっぱりスゴイ」「ゼロのファンだ」とか言い合っている。日本で生まれ育った、戦争を知らない世代の私が、戦争に行ったんじゃないかと思える年齢の白人のオジサンの横で零戦の飛行を見ている。それは平和なことですよね。と言っても地球全体が平和ではなく、まだまだ戦闘状態のところはあるわけですが・・・。
私がまだ大学生だった頃、大正3年生まれで70代後半だった母方の祖母が母と一緒にシアトルに来てくれて、1週間ほど過ごしたことがありました。当時、私はファースト・ヒルのアパートに住んでいたんですが、あそこは当時から病院が多い地域で、夜中に救急車が通ることもしょっちゅう。私は慣れきってて起きもしませんでしたけど、ある晩、祖母が寝てしまってから救急車がサイレンを鳴らしながらやって来たとき、祖母がいきなり起きて、「敵機が来た!危ない!」と叫んで、ビックリさせられたことがありました。祖母からしたら、アメリカはかつての敵国ですもんね。神戸だって空襲でやられました。祖母はアメリカを憎んでるとかいったことはまったくなかったですが、よくそんなアメリカに私に会いに来てくれて、楽しく過ごしてくれてるなあ・・・と、とてもとてもありがたかった。私は昔から祖父母の昔の話を聞くのが好きで、この祖母にも「長男を背負って淡路島までスイカを買いに行って、ようやく帰宅したとたん、ホッとしてそのスイカを落として割ってしまい、泣けて泣けて仕方なかった」といった話を聞いたことがありました。本当に、戦争は解決策であってはならないと、たびたび思います。
歴史は好きでも戦闘機には特に興味がなく、友人が貸してくれた百田尚樹の 『永遠の0』 がきっかけで、零戦についてネットで日本語と英語で検索していろいろ読み始めました。そしてどこかのサイトでこの博物館が1990年代前半にニューギニアで発見された三菱 A6M3零式艦上戦闘機22型を所有していて、それを6月8日に飛ばすと書いてあるのを発見。いろいろ調べてみると、この零戦は戦時中にニューギニアのバボ飛行場で米軍の攻撃を受けて破壊され飛行できない状態になっていたもので、1994年頃にロシアに運ばれて修復され、再び飛行可能になったんですね。そのため、エンジンはオリジナルではなく、Pratt & Whitney R-1830 が搭載されているそうです。その後、ポール・アレン氏が購入して Flying Heritage Collection に展示し、昨年、初の公開飛行を行いました。
よく考えてみたら、その時にうちの夫が偶然、息子を連れてその飛行を見に行ったんですよね。夫が「ゼロが飛んでた」とか教えてくれた気がするんですが、また右から左に流してしまってました。あー、ごめん。
『永遠の0』 には、いろいろ考えさせられて、おかげで零戦を生で見てみる気持ちになりました。小説としては、後半はすべてがあまりにもピッタリはまりすぎ、「あー、この人がきっとあの人なんだな」と結末の予想がついてしまう内容だったのが残念でしたけど。
イベント当日、零戦と P-40 が並んで展示されていて、紹介を受けたパイロットがそれぞれに乗り込みました。そこまでは「おお、これが零戦か」という興味だけでしたけど、プロペラが回り始めた時、その音を聞いて、ぞぞぞーっとしました。古い音が過去から呼び覚まされてきたような感じがし、相手を殺すために作られた戦闘機のお役目というものが、その様子からあらわになったというんでしょうか。そして、この零戦に最後に乗ったパイロットはどうなってしまったんだろう、この飛行機が攻撃を受けた時にこの飛行機に乗っていたんだろうか、もう亡くなっているとしたら・・・と考え始め、それから零戦が飛び立っていく様子、そして観客の前を P-40 とともに飛び回るのを見ながら、最後に乗っていたパイロットのご冥福を祈らずにいられませんでした(私は宗教は信じてないのですが)。
特に上空から一気に降りてくるところなど、怖かったです。ああ、やはり戦闘機は殺すために作られたものなんだなと。こんなのがたくさん飛んできたら、ほんと怖い。このコレクションが B-29 を展示してないだけ良かったと思いました(が、館内には原爆投下についての垂れ幕があります)。
でも、この戦闘機の飛行をいろんな人種・国籍・年齢・経歴の人たちがこうして一緒に見て、歓声をあげ、「ゼロはやっぱりスゴイ」「ゼロのファンだ」とか言い合っている。日本で生まれ育った、戦争を知らない世代の私が、戦争に行ったんじゃないかと思える年齢の白人のオジサンの横で零戦の飛行を見ている。それは平和なことですよね。と言っても地球全体が平和ではなく、まだまだ戦闘状態のところはあるわけですが・・・。
私がまだ大学生だった頃、大正3年生まれで70代後半だった母方の祖母が母と一緒にシアトルに来てくれて、1週間ほど過ごしたことがありました。当時、私はファースト・ヒルのアパートに住んでいたんですが、あそこは当時から病院が多い地域で、夜中に救急車が通ることもしょっちゅう。私は慣れきってて起きもしませんでしたけど、ある晩、祖母が寝てしまってから救急車がサイレンを鳴らしながらやって来たとき、祖母がいきなり起きて、「敵機が来た!危ない!」と叫んで、ビックリさせられたことがありました。祖母からしたら、アメリカはかつての敵国ですもんね。神戸だって空襲でやられました。祖母はアメリカを憎んでるとかいったことはまったくなかったですが、よくそんなアメリカに私に会いに来てくれて、楽しく過ごしてくれてるなあ・・・と、とてもとてもありがたかった。私は昔から祖父母の昔の話を聞くのが好きで、この祖母にも「長男を背負って淡路島までスイカを買いに行って、ようやく帰宅したとたん、ホッとしてそのスイカを落として割ってしまい、泣けて泣けて仕方なかった」といった話を聞いたことがありました。本当に、戦争は解決策であってはならないと、たびたび思います。