"Diversity" 「ダイバーシティはいいことだ」

General Purpoise のふわふわドーナツ

先日、日本の教育界でとても有名な東北大学大学院メディア情報学科の堀田龍也教授と、「かくれたカリキュラム」というテーマで著書も出版された在ブラジル日本国大使館広報文化班長・一等書記官の武藤久慶さん、マイクロソフトのIT部門ビッグデータアナリティクス分野のプログラムマネジメントを担当している保坂隆太さんが、ベルビューで行った講演に行って来ました。

題して「21世紀型教育を語る」。

そこに参加された在ブラジル日本国大使館広報文化班長・一等書記官の武藤久慶さんのお話は「かくれたカリキュラム」についてでしたが、この言葉を聞いたのは初めてでした!

著書は『その指導、学級崩壊の原因です! 「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド』。

お話してくださった内容は、「学校で教えているカリキュラム以外に、学校の風紀や先生の言動、その他いろいろなことが子供に何かを刷り込んでしまっている。それを認識し、意識し、対策を講じることで、子供たちが良いほうに変わっていく」。

困難校で実施され成果をあげてこられたというお話に、とても引き込まれましたー!わざわざブラジルから24時間もかけて来てくださって、感謝です。

そして、その「かくれたカリキュラム」と共通点があるのが、unconscious bias (無意識の偏見)を理解し、相手を受け入れ、上手に働き、世界各地で受け入れられる製品を生み出すことにつなげるという、マイクロソフトが社員に施している教育プログラムです。

これは一般に公開されているもので、こちらで見られます。
https://www.microsoft.com/en-us/diversity


ダイバーシティ+インクルージョン=サクセス
まさにそうだと思うのですが、すでに頭の中に多少なりとも偏見が出来上がっている大人は、「かくれたカリキュラムや偏見があると認識する→それを話し合って理解し、認めたうえで、多様性を受け入れたほうがメリットが大きい」と、頭で考え、トレーニングし、良い行動をとるしかないかなと思います。

例えば、特定の人種や国籍の人とネガティブな経験ばかりしていると、その人種や国籍の人に対してある程度の偏見ができてしまいがちです。日本人と嫌な展開になる経験ばかりしている人は、日本人に対して偏見があるでしょうし。でも人の態度は自分の態度の鏡とも言われるので、「それは私の偏見だ」と認識しているのとしていないのとでは、初めて会う人に対しても態度が違って、相手にもいい影響があるかもしれません。結果的に良い関係を築ければいいわけで。


種々雑多な人たちがいる環境で生まれ育つ子供の世界観
アメリカの場合、私たちが住む海岸沿いは特に、多様性というか、はっきり言って種々雑多。そんな場所で育つ息子の世界観では、いろいろな人種がいるほうが当たり前で、日本のように日本人が大多数を占める場所はとても不思議な場所だそうです。

5歳だった昨年はいきなり、「日本人しかいなーい。日本語語で全部できる~」と、面白がってました。(東京は、日本人以外の人もたくさんいらっしゃったと思いますが・・・)

堀田教授は「日本で生まれ育った日本人しかいなくて、日本語しか話さない状況しか経験していないと、異文化対応力が弱くなる」とおっしゃっていました。これはアメリカでも自分たちと同じ人種で同じ言葉を話す人しかいない状況しか知らない人たちにも共通しているかもしれません(全員がそうとは言えませんが)。

私も17歳で日本を出たとき、最初こそ自分がマイノリティというのを実感し続け、ビビっていました。でも、しばらくするとそれにも慣れ、早25年以上。そうなると、ほとんど日本人で、日本語ですべて完結できる日本は、特殊というか、特別な国のように感じます。


大人⇔子供への影響
自分の中にある偏見を認識した上で、良い行動をとろうとしている、またはできている、できるようになっている人がまわりにいると、とてもいい影響を受けますね。

目から入る情報ってすごく多くて、無意識に多少なりとも影響を受けます。

有名な女性飛行士が、"You can't be what you can't see." と言ったのは、やはりそれをわかっているからで。


モンテッソーリの世界観
子供の場合、年齢によってかなり異なりますが、モンテッソーリの早期教育(2歳半から6歳半までのプリスクールからキンダーガーテンまで)に関していえば、子供にこうなってほしい・習得してほしい、またはこうあるべき(多様性は当然、とか)と思う言動を、まずまわりの大人自身が自然に・当然にやっててこそ、モンテッソーリの教育現場でやっていることが完成するという考えが根底にあると思います。

子供は偏見を持って生まれるわけではないので。

息子とのモンテッソーリ体験は、私にとってこの世のあるべき姿というか、心地よい環境でした。そういうふうになってるところに毎日行っていると、子供にはそれが当然となり、するすると刷り込まれていくことが多いようです。

でも、これは何度も強調しておきたいのですが、「モンテッソーリ」ならいいわけではなく、先生によってばらつきがあります。子供と密に過ごす先生の人間性が出る教育法だと思うので、資格を取ったからといってモンテッソーリ教育ができるわけではないですね。息子は良い先生に恵まれて、本当にラッキーでした。