フード・バンクに寄付するということ

息子が無事、4歳の誕生日を迎えました。

妊娠の時からすると5年間、よくここまで元気に育ってくれたものです。4歳になったばかりながら、私が悲しい時は、「マミー、ハートを描いてあげるね」「ハグしたら、嬉しくなるよ」「本も読んであげるね」と、とても優しくしてくれます。つまり、それは息子が悲しい時にしてもらって嬉しいことなんですね。

普段一緒に遊んでいるお友達との誕生日会では、「プレゼントの代わりに、フード・バンクへの寄付をお持ちいただければ嬉しい」とお願いしました。快くご協力いただいたおかげで、たくさんの食品が集まり、翌日にはすべて寄付しました。これは非営利団体の Hopelink を通じて、食事に事欠く地域の人たちに分配されることになっています。これが最良のやり方なのかわかりませんが、どこかからスタートしてみようと。


私は、誕生日と言えば普通にプレゼントをもらい、そして何かがんばった時に何がほしいかと聞かれたら欲しい物を言う子でした(自転車とか時計とか)。それはそれでとてもいい効果も引き出せると思うのですが、私はそもそもそこまで感謝したりしていたか疑問です。

でも、息子の受けているモンテッソーリの教育では感謝やシェアリングが自然に行われていて、そうすると息子にはそれが普通になっていくんですね。心が育っているなあ~と思う瞬間がよくあります。良い手本を見ていれば、息子はそうなる。そりゃプレゼントは嬉しい。誕生日会でもやっぱりプレゼントをくださった方もいて、とても喜んでいました。私もとてもありがたかったです。でも、自分の子供時代を考えてみて、息子には「物をいただいたら、そのお気持ちに感謝。でも、誕生日やクリスマスは必ずプレゼントをもらう日ではなく、普段よりもさらに何かいいことをする日」というふうに考えられたらと、勝手に思っています。私に足らなかったところを育てることができたら、彼はもっといろいろなことに気づいて、見聞きして、経験して、シェアできるのではないかと。

先日、「プレゼントより、一緒に何かをするという経験のほうがすばらしい」という記事 『The ONLY Thing My Kids Actually Need For Christmas』 を読みました。その時を一緒に過ごして、特別な日がすばらしい思い出の詰まった日になるなんて、素敵です。でも、こういう考えは、大人だからわかる、ということはないですね。大人でも、やっぱりプレゼントのほうがいいという人はいます。

「だいたい、4歳児にはフード・バンクって言ってもわからないだろうし、そもそもプレゼントがもらえなくていいの?」

確かに、4歳になったところではフード・バンクの意味や仕組みはなかなか理解できませんが、自分のお友達がヘルプしてくれて、自分も誰かをヘルプしたということがわかれば良し。それが嬉しいと思ったら、そこから次につながるかもしれません。「今」だけを見るのではなく、先を見て今からやっておきたいなと考えています。

今日またこのフード・バンクの寄付のところを通ったら、寄付したものがなくなっていたのを息子が先に気づき(よく見てますね~)、また、フード・バンクについて質問してきました。それが、寄付したものが誰かの役に立ったんだよと話し合ういい機会になりました。4歳児なりに、あれこれ考えているようです。

そんな息子の最近の絵ですが、想像の世界が展開しています。


↑ これは9月頃に描いた、『大きなハチさんに刺されて痛がるマミー』。このハチ、「フフン」って、生意気。いつの間にか顔のパーツが揃った生き物を描くようになりました。


↑ なんだかクジラみたいですが、汽車が煙をあげながら走っています。誕生日パーティーでテーブルクロスの代わりに使ったクラフト・ペーパーに描き、自分で切って、壁に貼りました。「○○ちゃんは運転手で、マミーが後ろに乗ってるの」。

これからまたどんな絵を描いてくれるかな。