クリスマス・ストッキングに入れて「サンタさんから」と息子にあげたお花。 解体された民家の部品で作られてます。 これを見るたび、「サンタさん、くれたねー」と言います。 ちゃんと記憶してるんだなあ。 |
先生をやっている友人が先日、
「親御さんで、"私は5歳の時にもっと自分でやってました。母が厳しい人だったので、自分で持ち物をちゃんと揃えてました。それができないうちの子はおかしいので、厳しく叱りました" って言うのよ。全然わかってない。」
と、ため息をついていました。
何をどう叱ったのかわかりませんが、こういうふうに「私はこんなに苦労しました」「私はこんなにやってきました」みたいに何かを背負ってる人はやたら要求が高くて、周りを不幸にするよなと思うこと が、出産してからこっち、たびたびあります。苦労が足りない、私はもっとできた、私はもっとやってきた、私はもっとやっている、誰々さんはもっとがんばってる、という視点で。
私はそもそもできる子ではなかったので、この親御さんのような思考回路になりたくてもなれない!(笑)
いつも連絡帳に「忘れ物が多い」と先生に書かれていた小学2年生の頃、それが理由で2週間ほど学校に行かなかったことがありましたし。
「そんなに忘れ物が多いんやったら、先生の言うこと聞いてないってことやろ。それやったら学校に行く意味がないんちゃうか。どう思う?」と父に言われ、それもそうだと思った私が「そうやなあ」と言ったら(単純)、父が「じゃあ明日から学校に行かんでいい」と言い、私は「やったー!」
それから2週間ほど学校に行かず、父が同僚から借りてきた漫画 『釣りキチ三平』 を読み、明石まで釣りに行ったりしてました。でもしばらくして学校に行きたくなり、「学校に行きたい」と言ったら、父は「そうか。それやったら、先生の言うことちゃんと聞くか。」 「聞く」と答えたら、「じゃあ明日から行きなさい。」
久しぶりに学校に行ったらクラスメートが喜んでくれたのが嬉しかったんですが、担任の先生に「ゴミ当番もまたできるね」と言われたのがなぜか強烈に記憶に残ってます。ゴミ当番は焼却炉にゴミを捨てに行くのが仕事でしたが(今から考えたら小学校低学年には危ない仕事ですよね)、7歳ながら「自分はそれだけのために学校に来てるんじゃない」と思ったんですよね。大人ってほんま余計なこと言うわ。
後からその頃の話を母としたら、母は「あ~、あの時はほんま大変やったわ。お父さんは行かせんでいいと言うけど、学校から毎日電話がかかってくるし。引っ張ってでも連れてきてくださいって言われたしなあ。」 母は小学校1年の時にも登校拒否をしていた私が電柱にしがみついたりして泣くのを引き剥がして連れて行ったり、途中まで一緒に行ってくれたりしてたんですよね。一難去って、また一難。どうやら一番苦労してたのは母のようです。