子供もそれぞれ

子供は本当にそれぞれ違う。当たり前のことでも、忘れがちになる人って多いんじゃないか。親でも、親でない人も。

身近な例で言うと、このカラフルなパラシュート。息子のサッカー教室でたまに登場するんですが、床に広げたパラシュートに子供がすわって、コーチが "Where's purple?" と言うと、子供たちが紫を探して "Here!" と答えるとか、パラシュートの真ん中に子供たちを座らせ親が持ち手を持ってぐるぐる回り、子供はキャーキャー言って喜ぶとか、そういうエクササイズに使われてます。


「子供はカラフルなものが好きよねー」「子供はパラシュートが好きよねー」とか思いがちですけど、子供によってはパラシュートが何らかの理由で嫌い・苦手だったり(だから参加しない)、ある日は何らかの理由で嫌がる・・・ということがあるんですね。たかがパラシュート。それが嫌なことは大問題ではない、でも特に他の子供がなんなく楽しんでいたりすると、「あら?」と。

ま、息子は日本語の親子リトミックや幼稚部でも当初使われていたヒラヒラするスカーフみたいなのが嫌でしたし、そのスカーフを頭にかぶっていないいないばあとかするなんてもってのほかという感じ。とにかく頑として拒絶し、その意志の強さたるや、幼児でもすごい(幼児だからすごいのか)。たまたま行ったバウンシー・ハウスで、中に入るのを最初嫌がったこともありました。しばらくしたら自分で中に入って遊んでましたが、最初は何らかの理由で嫌だったみたいです。なので、パラシュートが嫌いでもさもありなんと、一人納得してました。

でも、他の子たちが楽しそうにしていると、「なんでうちの子はこれが楽しくないんだろう?」とか思ったり、頭の中ではそんなこと問題ですらないとわかっていても、 最初の子育てが始まってしばらくは必死なので、なんだか普段の自分とは違うように考えてしまったりするのは間違いではないし、自然なことなんですよね(親がそんな自分に罪悪感を抱いてしまったりしても、それも自然なこと)。とりあえず、とにかく嫌なことは嫌、そしてそれを私に伝えることができる、それはいいことなわけです。たかがパラシュート、無理しなくて結構。まだこの年齢で「他の子がやってるから、とりあえずやっておこう」といった思考が働くとは思えませんが、とにかく「そんなこと無理しないで良い」と。やりたくない時は、「そうなんだねー」と受け止めて、一緒にパラシュートを持って大人と同じ役割をさせてあげるとか、彼なりに楽しめることをやってもらうようにすると、私も息子も楽しくなります。そうすると突然、パラシュートに他の子供たちと一緒に乗ってみたりする。不思議なもんですね。

子供に対する教育でも、「子供の心に沿う」ということが盛んに言われているようです。まじめに育児本を読んでみたら、そういうことが書いてありました。それはまず子供の気持ちになって、 「そうなんだ」と言ってあげることから始まると(相手の悩みを事実として決定づける「そうなんだ」ではなく)。

しかし、これが大人同士でもできなかったりするんですよね・・・。