阪神・淡路大震災20年


もう20年。
1年1年、毎年毎年、1月16日(地震が発生した日本時間の1月17日)に、シアトルでも追悼式が行われ、シアトルにいる限り参加してきました。

あの震災の日、私はシアトルにいました。

日本時間の1月17日午前5時46分は、シアトルの1月16日午後12時46分です。

アパートで大学院のクラスのペーパーを書いていて、気分転換に掃除をしていたら、電話が鳴りました。出てみると、神戸市の隣の明石市からシアトルに留学していた友達で、「日本の親と電話で話してたら、なんか神戸のほうで地震があったみたいやって」と言うんです。「あーでも地震なんてしょっちゅうやん」と言うと、「でもなんか大きいみたいやで」と友達。

それから何を話したのか覚えていませんが、電話を切って数分ぐらいしてからなんとなく胸騒ぎがして、実家に電話してみましたら、発信音が鳴ったかと思うといきなり父親が大声で「もしもし!」

「なんか地震があったみたいやって、友達が言うから電話してみてんけど」

と言うと、父は、

「お!早いな!ごっつい地震やった!ものすごい揺れた!でもこっちは無事や!家もパッと見たところ大丈夫や!そやけど、じーちゃんもばーちゃんも電話通じへん!何が起きてるんかようわからん!これからじーちゃんとばーちゃんのところに行く!あっちに電話すんなよ!こっちから電話せなあかんから!」

と一気に言い、電話が切れました。

それから1週間ぐらいは電話が通じず、新聞社やテレビ局はまだネットで情報を逐次アップデートするような体制になってなかった時代で、数日にわたりCNNなどテレビで被害の数字が拡大していくのをボーっと見続け眠れませんでした。ラッキーだったのは、両親は無事であることがわかっていたことです。

そしてふと思いついて、学校のコンピュータ・ラボでチャットし(IRC のローマ字チャットでした)、kobe というチャンネルで状況をタイプし続けてくれていた垂水区の人に、西区は、垂水区は、東灘区は、大阪は・・・と質問して、彼はラジオから報じられる内容をもとに答えてくれ、想像もつかないほどの被害が出ていることがだんだんわかってきました。

自分も神戸に帰って何か貢献したい。でも、親戚の被災などで大変なことになっていた両親は、私だけは安全な場所にいてほしい、大学院を終わらせることが先決と言ったので、帰りませんでした。シアトルの地元紙、シアトル・タイムズが英語を話せる神戸出身者で取材に同行できる人を探しているという話が回ってきた時も、神戸の治安の不安定さなどが報じられていたので、私のことを心配するのは余計に辛いという両親の言葉に(その頃にはもう電話は通じていました)、立候補できませんでした。それでもやればよかったのですが、卒業が遅れると両親の負担も大きくなるという問題もあり、それはできませんでした。あの時から何度も「やればよかった」、そう思いました。

そして20年後。

今年は太陽の光が降り注ぐなかでの追悼式になりました。悲しい思いがまた沸き起こってくる時なのに、このきれいな青空が、すがすがしい空気が、亡くなった方や、震災の影響を今も受け続けている人たちを癒してくれているような気がしました。

20年前、まだ若かった。
震災を乗り越えながら、その後に他界した家族や親戚も、若かった。
考えてみれば、震災の時の両親は49歳と48歳。弟はわずか22歳。
なんと若かったのか。

辛く悲しい思いをした人、まだそんな思いを抱えている人がたくさんいるんですよね。それでもなんとかそれと一緒に生きている。

「もう20年もたったのに、まだそんなことを」と言われるかもしれない。

でも、時間が癒すことができるものもあれば、そうでないものもあり、また、なんとか考えないようにして共存できるものもある・・・ということがわかってきました。

何でもそうですけど、「なんでそんなことで」とか、「なんでそんなにまで」と部外者が思うことでも、当事者にとっては大変なことだったりするってよくありますよね。部外者の自分と当事者は同じじゃないし、きっと私には話していないことや、話せないことが山ほどあるんだろうなと思います。私も夫にしか話さないことがたくさんあるので。

でも、世の中には相手にすべてのことを話してもらえていると思っている人がすごく多いと、この1年数ヶ月、実感し続けています。それはやっぱり、言葉ありきのアメリカにいるからなんでしょうかね。

まあでも、悲しんでいる人を目の前にすると、何か言ってあげなくてはと思ってしまうというのはあります。

昔、友達の赤ちゃんが死産となり、その葬儀に呼ばれた際、招待を仕切っていた人が、「何と言っていいかわからないかもしれませんが、そんな時は、"何と言えばいいかわからない" と言えばいいんですよ。十分に伝わります」と言ってくれたのを覚えています。

黙ってじっくり聴いてあげるだけでいい。
相手の心に寄り添うというのはそういうことなのですが、実はそれが一番難しい。

私の救いは、母と夫には自分の気持ちを正直に話せることかなと思います。特に夫は聞き上手。とことんつきあってくれるので、本当に助かります。そして、深い事情は知らなくても、「最近どう?」と連絡してくれたり、楽しいことに誘ってくれようとする友達の存在も。

無理しないよう、自分のペースでやっていこうと思います。